検索できませんが...?

検索に頼ってはいけない。例えば「生きるとは?」で検索して、答えを1つに絞ることができるだろうか?

生きるとは『うんこ』すること。これは昭和の有名な思想家である 無着成恭*先生の言葉、ただし子供向けの回答。「生きるとは、ただそれだけのことだから、悩まず元気良く遊んでね..」と言えば、子供にはわかりやすい。『うんこ』という言葉は、生きることの意味とか、目的なんてのを考えさせないだけのインパクトを持っているから、大人でも納得させられそうになる。

でも大人向けには、生きるとは『他の生物とコミニュケーションができる状態であること』でどうだろう。例えば、あなたが銀河系のかなたに通信がまったくできない状態、つまり「宇宙ひとりぼっち」にされたとして。その状態が長く続いたら、自分自身は生きているという自覚があっても、あなたは生きていると地球人から認識されるだろうか。

もう少し現実的な例えだと、朝起きたら「目が見えない、耳が聞こえない」状態だったとする。それでも口と体は動くので、まわりの人となんとかコミニュケーションがとれる。しかし、さらに口や体の自由、手の感触さえ奪われた状態になったとしたら、どうだろう。生きているという実感が湧かないだろうし、他の人から「生きてる」と認識されるかどうか、あやしい。

もしかして生きるとは、自分の意識ではなく「他の生物から見た判定」なのかもしれない。もし、先の「宇宙ひとりぼっち」で人工知能が相手をしてくれたとしたら、あなたは「生きている」と感じるかもしれないが、他の人からは実質「生きてない」とみなされることに変わりはない。

現実に、それに近いことが起きているような気がする。まわりの人と話すより「携帯でメール」とか、PCのブラウザ越しに他の人とコミニュケーションを取るほうが楽と思ったことはないだろうか?。自分は「生きている」と思っていても、「まわりの人から認識されなくなる」...などということはないが、「コミニュケーション」そのものが「生きる」ことであるなら、それを疎かにすると、「生きていてつまらない」と感じる可能性がある。

したがって、疑問が湧いたら検索で調べる、などという行為は『他の生物とのコミニュケーションの放棄』であり、「生きること」を否定することにもなりかねない。 また、テクノロジーの浪費でもある。それより、いくら「ググレカス」と言われようが、疑問は即座に「人に聞く」という「生きることの本質」を忘れてはいけないのである。

検 索

Googleなどの検索エンジンは、抽出したキーワードを統計的に処理することで成り立っている。 豊富な情報が得られるが、その信憑性は自分で確かめるしかない。

戻れませんが...

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notes

* 思想家とは呼ばれていない。詳しくはググレカス

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